軍艦島(端島)とは?長崎の海に浮かぶ炭鉱の島

多くの人が一度は耳にする軍艦島。正式名称は端島で、長崎県の沖合にある小さな島です。本記事では、呼び名を軍艦島で統一し、私が旅行で訪れたときの体験を交えながら、その歴史と当時の暮らしを分かりやすくご紹介します。

軍艦島のはじまりと発展の歴史

軍艦島の物語は、1810年に石炭が発見されたことから始まりました。その後、採炭の効率化と土地確保のために島の周囲は計6回にわたり埋め立てられ、限られた面積を最大限に活用していきます。炭鉱を保有・運営していたのは三菱で、作業員だけでなくその家族も島で生活していました。

竪坑とトロッコで掘り進めた採炭

島では竪坑と呼ばれる縦型の坑道を使って地下深くへ降下し、そこから傾斜した石炭層に沿ってトロッコでさらに奥へ進んで採炭していました。エレベーターのような仕組みを思い浮かべるとイメージしやすいでしょう。私が訪れた際は、ガイドの案内で竪坑の入口の一部を見学できましたが、案内がなければ用途が分からないほど朽ちており、産業遺産としての時の重みを感じました。

世界有数の人口密度と居住エリアの工夫

島内は大きく炭鉱エリアと居住エリアに分かれていました。面積の多くは炭鉱関連施設が占め、居住エリアは人口に対して非常に限られていたため、拡張は主に建物の高層化で対応しました。軍艦島には、日本最古級の鉄筋コンクリート造の集合住宅が残っていることでも知られています。

アパートの階級差と充実した生活インフラ

居住用のアパートは複数棟が建ち並び、職種や階級によって部屋の広さや階層が異なるなどの差別化が行われていました。人口が多かったこともあり、病院や映画館、スナックなどの娯楽施設が整備され、居住エリアの地下階に設けられた施設もありました。さらに、当時としては珍しく一般家庭の家電普及も進んでいたといわれています。

子どもたちの遊び場と巨大プール

狭い島内には公園のような広い遊び場がほとんどなく、子どもたちはアパートの屋上で遊ぶことが多かったそうです。その一方で、市民用の巨大プールが設けられており、住民の憩いの場となっていました。私が見学したコースでも、このプールは比較的近くから確認することができ、当時のにぎわいを想像させてくれました。

軍艦島観光で見えた現在の姿

居住エリアの建物は廃墟化が進み、損傷が激しいため、見学は安全が確保された範囲に限定されています。私が訪れた際も、居住棟には近づけず、遠景からの見学が中心でした。一方で、見学コース上からは巨大プールなどをはっきりと確認でき、産業と生活が共存していた島の空気感を感じ取ることができました。

まとめ

  • 軍艦島は正式名称を端島といい、1810年の石炭発見を契機に発展した炭鉱の島
  • 島の周囲は度重なる埋め立てで拡張され、竪坑とトロッコで採炭が行われた
  • 世界有数の人口密度のもと、高層アパートや生活・娯楽施設が整備された
  • 現在は安全のため見学エリアが限定されるが、巨大プールなどから当時の暮らしを垣間見られる

今回は、軍艦島が形づくられていく過程と島民の暮らしを、私の旅行体験とともにお伝えしました。続編の「軍艦島の現在とは?衰退の理由と観光・上陸ツアー完全ガイド【長崎】」では、島の衰退から現在に至るまでを詳しくご紹介します。気になる方はぜひ併せてご覧ください。