新年にふり返る、あたたかな家族の記憶

明けましておめでとうございます。子どもの頃、何より楽しみだったのが「お正月」でした。親戚づきあいが盛んだったわが家では、新年の挨拶にあちこち出かけ、親戚に会える喜びと、お年玉をもらえるワクワクが毎年の楽しみでした。

親戚に会える楽しみとお年玉のワクワク

特に楽しみだったのは、親戚のお姉ちゃんや小さい子に会えること。近くの親戚には子どもがいなかったので、お姉ちゃんが来る日に合わせて親戚の家へ行くこともありました。会えるのは年に1~2回ほど。姉妹がいない私は、姉妹のいるお姉ちゃんたちがとても羨ましく、5歳年上の彼女は当時とても大人びて見えました。

憧れのお姉ちゃんに会える特別な日

私には姉妹がいなかったからこそ、親戚のお姉ちゃんは特別な存在でした。限られた再会の機会が、年越しの楽しみをいっそう大きくしてくれたのだと思います。

お年玉とゲームソフトの駆け引き

お年玉で自分が何を買ったかはあまり覚えていません。貯めては日常で欲しくなったものを買っていたのだと思います。はっきり覚えているのは、弟2人から毎年のように「○○のソフト買いたいから、3人で買おう!お姉ちゃんも遊ぶやろ?」と半ば強引に誘われたこと。ところが実際に遊ぶのはほとんど弟たちで、私の番はごくわずか。2人用のゲーム機だったことが大きく影響していました。

家族で楽しんだお正月の遊び

お正月は家族でボードゲームをするのが定番でした。学年が上がるにつれて、遊びの幅も少しずつ変化していきました。

  • ドンジャラ
  • モノポリー
  • 百人一首(小学校高学年ごろから)

モノポリーで学んだこと

モノポリーは本当によく遊んだので、どの物件を買えば有利か、なんとなく感覚はつかめていました。とはいえ、結局はサイコロ次第。思い通りに進まない悔しさもまた、楽しい記憶として残っています。

百人一首で身についた記憶

百人一首は勉強にもなる遊びとして、弟たちも上の句と下の句を頑張って覚えていました。たくさんの句を完璧に覚えたわけではありませんが、中学校で改めて習ったとき、遊びの記憶が学びにつながったと感じました。

栗きんとんをめぐる、ちょっとした勘違い

冬休みは家族で一緒に過ごす時間が長いぶん、年末年始は喧嘩も多め。なかでも印象的なのが、「お姉ちゃん、栗きんとん食べ過ぎ!」と次男に大きな声で怒られた出来事です。実は、そのときにたくさん食べていたのは私の隣にいた長男。私は濡れ衣を着せられた形でした。

母が年末に栗きんとんをたっぷり作っていて、私はつまみ食い常習犯。だからこそ「きっと私が食べたに違いない」と思われたのでしょう。しかも、私と長男の間に栗きんとんが置いてあったものだから、誤解は加速。今では笑い話ですが、当時はちょっぴり悔しかった思い出です。

変わりゆくお正月、変わらない想い

最近は親戚一同で集まる機会も減りました。いまは次男家族が姪っ子を連れて遊びに来るくらいで、お正月らしい変化といえば、お年玉を渡すこと。こうして振り返ると、「最近会えていない親戚にもまた会いたいな」としみじみ思います。

まとめ

お正月の思い出は、親戚に会える喜びやお年玉のワクワク、家族で囲むボードゲーム、そして栗きんとんの小さな騒動まで、どれも温かく心に残っています。今年は久しぶりの親戚に連絡をしてみたり、家族で昔の写真を見返したりして、あなた自身の「お正月の思い出」もふり返ってみませんか。