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パラリンピックの原点と歴史|私がパラアスリートを志すまでの道のり

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導入文

パラリンピックの原点を知ることは、競技に臨む心構えを育て、日々のトレーニングの意味を深めてくれます。この記事では、パラリンピックの歴史を振り返りながら、私自身がパラアスリートを志すまでの道のりを綴ります。

パラリンピックの原点とは? 歴史の概要

国際的な障がい者スポーツ大会の始まりとしては、1924年にフランス・パリで開催された国際ろう者スポーツ大会(のちのデフリンピック)が挙げられます。一方で、現在のパラリンピックへと直接つながる原点は、第二次世界大戦後にあります。

1924年 デフリンピックの開催

1924年、国際ろう者スポーツ連盟(CISS)が設立され、同年にパリで国際ろう者スポーツ大会が開催されました。これは国際的な障がい者スポーツの先駆けとして大きな意味を持ちます。

1944年 ストーク・マンデビル病院とグットマン医師

第二次世界大戦が激化する中、増え続ける脊髄損傷者の治療と社会復帰を目的に、1944年ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院に脊髄損傷科が開設され、初代科長にルードウィッヒ・グットマン医師が就任しました。グットマン医師はスポーツを治療に取り入れ、車いすによるポロやバスケットボール、卓球などを導入してリハビリの可能性を広げました。

1948年 ストーク・マンデビル競技大会の開催

1948年7月29日、ロンドン五輪の開会日に合わせ、ストーク・マンデビル病院で16名の車いす患者によるアーチェリー大会が開かれました。これがのちのパラリンピックへと発展していく出発点とされています。

主な出来事の年表

  • 1924年:パリで国際ろう者スポーツ大会(デフリンピックの起源)
  • 1944年:ストーク・マンデビル病院に脊髄損傷科を設置
  • 1948年:ストーク・マンデビル競技大会(アーチェリー)を開催

私がパラリンピックに惹かれた理由

私はもともとスポーツが大好きで、当時はサッカーに打ち込み、日本代表を目指していました。障がいを負ってからもスポーツへの情熱は消えず、パラスポーツの存在を知っていた私は、いつかパラアスリートとして競技に挑みたいと強く思うようになりました。

学生時代:車いすマラソンとの出会い

高校は特別支援学校に通い、そこで車いすマラソン部という部活に所属しました。毎日練習に励むなか、ある時、とある市で行われる大会への出場のお声がけをいただき、挑戦する機会を得ました。それ以降も毎年出場を重ね、少しずつ手応えを感じられるようになりました。

社会人になってからの挑戦と転機

社会人になってもレースへの出場は続けていましたが、なかなかタイムが伸びず、陸上を続けるべきか迷った時期もあります。そんな折、全国障がい者スポーツ大会への出場のお話をいただき、心が跳ねるような喜びを感じました。そこから改めてトレーニングに力を入れ、他の大会にも積極的に取り組むようになりました。

パラアスリートとしての第一歩、そして今

「パラアスリートとして生きたい」という思いが一層強まり、パラ陸上競技連盟に登録。正式にパラアスリートとしてのスタートを切りました。現在はパラリンピック出場を目指し、日々トレーニングを続けています。競技者として歩むうえで、歴史を学ぶことは大切であり、先人への感謝の気持ちを忘れずに走り続けたいと考えています。

まとめ

パラリンピックの原点は、治療と社会復帰のためのスポーツから始まりました。その精神は、私が車いすマラソンに打ち込む原動力でもあります。パラアスリートとしてはまだ道半ばですが、練習を積み重ね、いつか花開く時を信じて挑戦を続けます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。パラリンピックやパラスポーツに関心のある方は、地域の大会観戦やボランティア参加など、できる形で一緒に応援していただけると嬉しいです。感想や応援メッセージもお待ちしています。

参考資料: https://www.parasports.or.jp/paralympic/what/history.html